運営代表 二重 朔
フリーランスWEB屋の生存戦略

運営管理者 二重 朔

初めまして。
二重 朔と申します。

私のプロフィールページに訪問していただきありがとうございます。
フリーランスWEB屋の二重 朔(さく)と申します。

早速ですが、フリーランスWEB屋の実情を、直視する準備はできていますか?

もしあなたが今。
社畜のような生活から抜け出し、フリーランスとして自由に生きたい。
スキルは身につけたはずなのに、自力で収益(0から1)を生み出せない。
結局は下請けや安売りに終始し、売上が伸びないまま疲弊している。

そんな「出口のないループ」にいるのなら、あなたに足りないのは新しい技術ではなく、稼ぐための「生存戦略と覚悟」です。

このサイトは、誰かを慰めるための場所ではありません。
物理的、あるいは社会的な「逆境」からWebという武器一本で生還するための、冷徹なロジックを共有する場所です。

私がどん底から1年で構築した、営業・開発・インフラ・管理・運用の5工程を一人で掌握し、確実に「数字」を動かすための一気通貫のワークフロー。
その戦略的な核(コア)を、このサイトでは記録していきます。

自由という名の「戦場」で、自立を勝ち取るための記録。

この業界には、自由を求めて独立を目指しながら、一歩を踏み出せずにいる方や、すでに戦場(フリーランス)にいながら、理想とは程遠い現実に直面している方が数多く存在します。

厳しいことを申し上げますが、フリーランスという生き方は、すべての責任を一人で負う「覚悟」がなければ、以前よりもさらに過酷な「社畜」への逆戻りを招くだけです。
AIが進化し、単なる制作スキルの価値が暴落する今、その覚悟がない者は真っ先に淘汰されていくとおもいます。

私自身、フリーランスとしての7年間、クラウドソーシングや下請け案件を一度も利用せず、すべて直接契約と自社メディアの運営のみで生存してきました。
営業、開発、インフラ、管理、運用。
この5工程を一人で完結させ、確実に「数字」を動かしてきた私の7年間の記録が、あなたが自立したフリーランスとして生き残るための道標となることを願っています。

私がこのサイトを立ち上げた理由は、Web系フリーランスがスキルを搾取され疲弊する構造を打破し、自立を志す方が二度と「社畜」へ逆戻りしないよう、私が7年間積み上げてきた『生存の記録』を共有するためです。

私がフリーランスのWEB屋になった理由

普通という選択肢が消えた時、残されたのがフリーランスのWEB屋でした。
私がフリーランスになるまでの経緯を職歴と共に紹介します。

ナイトレジャーグループ キャバクラ店統括(17歳~24歳)

25店舗展開のグループにて、キャバクラ15店舗のNo.2・エリア統括を歴任。

17歳からスタートし、現場実務のすべてを習得。
個別の店舗運営において「数字を出す最小単位」を確立し、店長として1店舗の利益を最大化させる術を磨く。
店長としての実績を背景に、エリア統括・グループNo.2へ昇進。
当初3店舗だった体制から、ゼロからの新規開拓を学び指揮し、15店舗以上の運営規模へと拡大。
市場選定、コンセプト設計、人材確保、集客導線構築まで、事業スケールの全行程を掌握。
グループ内(全25店舗中、自身の管轄15店舗)の不振店に介入。
現場の歪みを特定し、組織構造とマーケティングを再編。
数多くの「死に体」だった店舗を黒字へと再生。

総合防水3年・空調ダクト工1年(26歳~30歳)

ナイトレジャーの世界から足を洗い、約1年間は貯金だけで生活。
いざ一般社会へ出ようとした時、目の前にある履歴書には、約8年間にわたる「書けない経歴」という大きな空白が残る。

手に職をつけるため、知人の紹介で建築現場の世界に飛び込みむ。
マンションの修繕工事を主とする防水工(左官・防水・塗装)として約3年。
文字通り「石の上にも三年」という職人の徒弟制度の中で、最初の2年間は手元(助手)として下積みに明け暮れる日々。
しかし、そこで突きつけられたのは、天候に左右され、親方の采配一つで稼ぎが決まるという、圧倒的な「環境依存」の現実。
一日1万円の日当で貯金に頼らざるえない現実に絶望。

より効率的に、より確実に稼ぐために選んだのが、屋内作業が中心の「ダクト工」への転換。
昼はゼネコン、夜はテナント工事。
天候に左右されない強みを活かし、昼夜二部制の現場をがむしゃらにこなすことで防水工時代とは比較にならない実入りを確保。

断たれた職人の道。(30歳~31歳)
不治の病の宣告と半年間の空白

ダクト工として1年が経ち、この道で生きていくと決めた矢先、目に異常。
複視。
見るものすべてが二重に重なり、距離感が掴めない。
眼科の検査では異常が見つからず、大きな専門病院で下された診断は「ミトコンドリア病」の疑い。

細胞の異常により、目を動かす筋肉が正常に機能しない。
日本では複数の症状が重ならないと正式な認定は下りないほど症例が少なく、何より「治ることはない」と告げられる。

ダクト工の現場は、重量物を複数人で運ぶ場合も多数ある。
視界が定まらない私が足を踏み外せば、自分だけでなく仲間に大怪我をさせてしまう。
その責任を負いきれないと判断し、私は職人の道を断念。

そこから約半年間、絶望した私は引きこもり、社会との接点を失う。

水商売に戻り性風俗でWebに触れる(31歳~36歳)

半年間の引きこもり生活を経て、再び夜の世界へ戻る。
小規模なグループでアルバイトから再スタート。
前店長が失踪したことで急遽店長を任されることになる。
当時は以前のような気力はなく、半ば投げやりな心境でしたが、結果として店長就任から1年で売上を3倍近くまで向上させる。
しかし、その実態は客引きや時間外営業を繰り返すブラック。
スタッフの逮捕と営業停止を機に、法的リスクを負う手法に強い嫌悪感を抱き、オーナーからの継続依頼を断り辞める。

その頃、街で目にしていたのが、客引きもせず朝から行列を作る風俗店の光景。
なぜ、あんなに人が並ぶのか。
客引きもいないのになぜ客が来るのか。
その仕組みを確かめるべく運営スタッフとして門を叩いた時、私は「Web」や「Web広告」、「ネット集客」という言葉すら一切知らない無知な状態。

スタッフとして内部に入り、初めてその正体を知る。
そこで目の当たりにしたのは、私が人力で必死に行っていたブラック営業を遥かに凌ぐクリーンなネット集客の威力と、キャストの時給がリスクにならない売上歩合制モデルの合理性。

無店舗型(デリヘル)での開業を見据え、Web広告とシステムの基礎を自らの手で完璧に掌握するために、1年間の現場実務を経て職業訓練校への道を選ぶ。

職業訓練(36歳~37歳)

ブラウザという言葉すら知らない無知な状態から、6ヶ月間の「Webデザイン・開発」の職業訓練へ。
卒業までの目標を「風俗店のホームページを自力で構築すること」一点に設定し、生存のための技術習得に没頭した。

フリーランスWEB屋始動(37歳)

6ヶ月間の職業訓練を通じ、大きな現実に直面。
無店舗型(デリヘル)での開業は参入障壁こそ低いものの、看板のない新規店が勝負するには数千万単位の広告費が必須であること。
資本力のない個人が戦うにはあまりに非効率な戦場だと悟り、開業を断念。

技術的にも、卒業までに複雑な予約機能の実装には至らず。
しかし、「キャストの出勤管理とリアルタイムの反映」という、キャバクラの現場運営に不可欠な基幹機能は自力で構築できるレベルまで叩き込み。

就職はせず、自分が最も熟知しているキャバクラ業界へ狙いを定めまる。
人脈や紹介などは一切使わず、すべて「飛び込み営業」のみ。
戦略は、かつての経験から自作テンプレートを用いたサイト構築を一律3万円という破格で売り、運用もサポートする。

その基盤から、自社メディアの運営や他業種の構築・運用サポートへと事業を拡げ、今に至る。

私がこの道を選んだのは、自由になりたいとか、格好いいフリーランスになりたいといった、キラキラした動機ではありません。
ただ、生きるために。
野垂れ死なないために。
残された唯一の道を、死に物狂いで突き進むしかなかった。
それが、私がフリーランスのWEB屋になった唯一にして最大の理由です。